自我は「私」の練習台

私にとって最も理解に苦しむのは「思考」の存在であり、その思考が生み出した「自我」と言ってもいいと思っています。

この自然界の中で、一体全体思考とは何なのだろう?と思わざるを得ないのです。一つのエネルギーの形態だと言えなくもないのですが。

この宇宙を形作っている物質は、すべてエネルギーの一つの形態であるということは、あの有名なアインシュタインの E=mC2 として知られています。

エネルギーの大きさは、物質が持つ質量に光速の2乗を掛けたものなので、たとえ小さな砂粒一つをエネルギーに変えるとしても、とてつもないエネルギーになるということですね。

エネルギーというと一般的なイメージは何らかの力、パワーを思い浮かべると思うのですが、思考が単なるパワーとは思えません。

話しを元に戻して、自分がイメージしているこの自然界に思考が存在するというのが不思議というか、どうしても違和感があるのです。

そしてその得体の知れない思考から、もっと不可思議な自我が作られたのですから、これはもうその驚きは表現のしようもないくらい、奇跡的なことだとも言えます。

ただその自我が生まれたおかげで、人類だけが擬似的な「私」を体験することになったわけです。これこそが覚醒への唯一の道なのだと。

なぜなら、唯一「私」を名乗れるのは私たちの本質である純粋な意識だけだからです。その「私」は勿論全体性のことであって、個人ではありませんが。