ある特定の目的を持った場合には制服というのもあった方がいいと思うのですが、一般的な毎日の暮らしに制服を指定されるのはどうかと思っています。
あるいは制服があってもいいけれど、着たい人が着ればいいし、着たくない人はその限りではないというのがいいですね。
私自身は中学生の3年間だけ学生服を着ていて、それ以外で服装を規制されたことが一度もないので、それが当たり前だと思っているのかもしれません。
日本の教育というのは、制服でイメージされる平均的な人を作り出す、あるいは満遍なくそつなくできる人、飛び抜けていなくていいという感じだったと思います。
きっとそれはもう過去の話しであって、今では本人の得意分野を延ばしてあげようという教育に変化してきたのだろうと。
私もそれには賛成ですが、それよりももっと大切なことがあると思っていて、それはやはり期待しないことです。
昨日のブログで愛と期待は裏腹だということを書きましたが、期待は欲望と言い換えることができると分かれば、当たり前のことだと気づきます。
セッションで向き合うクライアントさんに対して、どんなことも期待することはないと断言できますね。
たった一つだけ、あなたがあなた自身であって欲しいということです。そうすれば、あらゆる苦痛から解放されて、より自然で自由な人生を取り戻すことができるからです。
数年前、セッションの中で、子供に期待していないでしょうね、と頻繁に言われてました。その度に痛い所を突かれてるような、でも腑に落ちないモヤモヤした気持ちでいました。当時は理解できていなかったんです。
我が家の息子たち、学校で、スポーツで評価されたくて、期待に応えたいと思っているようです。試合が近づく度にプレッシャーと闘っている姿を見るにつけ、期待に応える必用はないんだよと繰り返し話します。これまでの私の接し方や環境によって、期待に応えない自分はダメと思い込んでいるのでしょうね。
私も息子たちに自分らしくあってほしいと思っています。まずは、私が私らしくいられるように、ですね。
誰もが期待されないことは情け無いことだという強い思い込みを持っているということですね。