誰の人生であろうとみんな同じように、自我のない純粋無垢な状態からスタートするのです。自他の区別もないいたって無邪気な頃ですね。
それが自我の芽生えと共に少しずつ自他がはっきりして、自分のことは自分で守らねばという自己防衛の火蓋が切って落とされるのです。
他人に囲まれた自我は、自分の存在を明確にしておきたくて、自分の存在を特別なものだと思いたいのです。そのために、必要とされたいという強い願望が生まれます。
必要とされることによって初めて、自分の存在を認められるからです。逆に言えば、誰からも必要とされない自分ほど惨めなものはありません。
こうした路線は放っておけば、人生の最後まで続くことになるのです。けれども、このような生き方がどれほど馬鹿げたものかに気づいていく人もいます。
必要とされることは、便利で都合がいいということであって、そこには愛がないとはっきり気づけばいいのです。そうなれば、その路線から抜け出すことも可能になるのです。
この世界は自分などいなくても成立するし、自分なしでもうまく存続するに決まっているのです。そしてそれはそういうものです。
そこにはどんな問題もありはしません。結果、競争も不要になるし、自他という間違った分離感からも距離ができるのです。
自我は小さくなって、まったく異なる人生の風合いに目覚めることになるのでしょうね。