昨日のブログの最後の方に、◯◯に無頓着であるほうが却って◯◯に困らないでいられる、ということを書きました。
もう一度読み直してみて、随分と雑な言い方だったなとも思ったのですが、それでもある程度の真理をついているような気もします。
一般的な感覚からすると、無頓着というのはあまりいい意味では使われないように感じるのですが、本来の意味は頓着しないということです。
辞書によると、頓着というのは「心にかけること。気にすること。あるいは深く気にかけてこだわること。執着すること。」とあります。
要するに、「頓着=執着」であると捉えるならば、無頓着=無執着ということになって、それはエネルギー的には清々しい気がします。
一度でも執着してしまうと、そこには必ず不安がやってきて、闘うエネルギーも引き寄せてしまうのです。
執着が不自由を引き寄せてしまうことも容易に理解できますね。ということは、無頓着=自由ということも言えるはずです。
なるほど、だから無頓着でいることは気持ちがいいのですね。ただ、こだわりの◯◯なんていうのもあって、それはそれで自我にとっては魅力的なのです。
こだわる気持ちも大切と思って生きるのか、あるいは無頓着を是として生きるのか、あなたならどちらに軍配をあげるでしょうか?