ただ夢の中で彷徨っている

短期記憶がほとんど機能しなくなってしまった母親を見ていて分かるのですが、夢から目覚めた後もその夢の中で生きているようなものです。

その日生きた現実の記憶がないので、目覚めても夢の内容しか頼りになるものがないのでしょうね。

その状態では、なかなか理性を働かせるといっても制限されてしまうのです。夢の中の理性なので、現実を受け入れられなくなってしまうのです。

夢の中でも目覚めても無意識の状態になっているので、自我の独壇場ということになりますね。

このようになってしまった母親を見て、ふと思ったことがあるのですが、それは覚醒してしまった人からすると、私のことも同じように見えるのではないかと。

私自身は、少しは意識的であるように心がけているし、この現実世界をしっかり把握しながら生活しているという自負があります。

けれども、例えば覚醒したoshoのような人から見れば、まるで夢の中で生きているかのように見えるのだろうと思うのです。

なぜなら自分が生きている現実とは、その多くが自分(自我)が作り上げたもので彩られているからです。

私たちがやらかしている投影とは、思っている以上に大きなものに違いありません。簡単に言えば、見たい世界を見ているのです。

本当は良いも悪いもないし、善も悪もない。ただ起きることが起きているだけ。こうした中道の見方ができないなら、やはり夢の中でフラフラ彷徨っているようなものなのですね。