例によって以下のoshoの言葉に耳を傾けてみてください。仮に理解ができたとしても、実感を伴うことは難しそうですね。
『思考はあなたのものじゃない。彼らはあなたに属するものじゃない。彼らは訪問客として訪れる。ゲストだ。
しかし彼らはあるじじゃない。深く見つめてごらん、そうすればあなたはあるじとなるだろう。そして思考はお客だ。』
↑この言葉の意味を理解するのが困難に感じてしまうのは、私たちが自分だと信じている自我自体が思考ででっち上げられたものだからです。
だから何かを考えている時、自分が考えていると感じるわけです。この考えは自分が生み出したものだと思えるのです。
ところが、思考はお客、つまりはよそ者だといっているのです。外からやってきて、勝手にあなたを乗っ取り主人ヅラをしているということ。
思考はこの社会ではとても役に立つものではあるのですが、人生で最も大切な問いである、自分とは何か?については一切役に立ちません。
というよりも逆に、真実を知ろうとすればそれを妨げるものだとも言えるのです。自分が思考によって作られたイメージに過ぎないと気づくのは困るのでしょう。
どれほど受け入れ難いことであろうと、真実はそんなことにはお構いなしです。心を静かにして思考から離れた時に、真実に気づくことになるのですね。