社会的な観点で言うと、疑うと言うことは少しネガティブな印象がある感じがしますが、実は少しもネガティブなことではないのです。
疑うのはとてもシンプルで素直なことです。幼い子供は、目に映るもの何に対しても疑ってかかるのです。そこに否定的なニュアンスがないのは、理解できますね。
疑うエネルギーから思考(言葉)が消えると、実は信頼に変化するのです。だから疑いと信頼は同じエネルギーなのです。
私自身、目に見えない世界のことをあれこれ疑っている時期があったのですが、そこにへばりついていた思考が落ちた時、ただただ信頼に変わった記憶があります。
一方で、信じるマインドというのは似て非なるものです。信頼は<全体>あるいは存在に対するものであり、信じることは言動や事象に対してです。
そのため、信頼にはどんな条件もないのですが、信じることには明確な条件がついてくるのです。
その条件が変化してしまえば、すぐさま信じない状態へとひっくり返ってしまうのです。反転できるものは全て二元の世界の出来事です。
信頼はひっくり返ることがないので、非二元と言うことですね。