この世界を見るときの判断基準として、正しいか正しくないかを使ってしまう人がたくさんいるように思います。
その理由は比較的簡単で、自我が日々行い続けている自己防衛の策として、正しさを使うことが多いからです。
正しさというのは、自我にとっては非常に使い勝手が良くて、自分が正しくある限り他人から否定されることはないと信じているのです、
別の言い方をするなら、自分自身を深いところで正しさによって裁いているので、他人のこともそれと同じ目で裁いてしまうということですね。
要するに、物事の判断基準を正しいかどうかに置いている人は、それだけ自己防衛が強いということなのです。
逆に言えば、自己防衛で正しさをあまり使わない傾向になるなら、自分のことはもちろん、他人のことや周囲の出来事を正しさで判断しないということ。
癒しを進めて行って、防衛が小さくなっていくに従い、正しいかどうかということに興味を持たなくなっていくのです。
その代わりに、自分にとって好ましいかどうか、あるいは心地いいかどうかということがより重要な判断基準になるということですね。
自分の内面を見つめてみて、判断基準に正しさを多用しているとしたら、癒していく必要があると考えて間違いないと思います。