私たちの本質は純粋な意識であって、それを全体性の感覚として体感することができるようになると、世界が変わって見えてきます。
その一方で、この世界で自我として生きているつもりであるなら、私たちは完全なる孤独、どんな環境においても独りなのです。
多くの人々が、このどちらも認めることができずに生きているのです。特に、絶対的に独りだということはみたくないのです。
そのために、家族、友人、パートナー等々の孤独を紛らしてくれる人々を周囲に必要とするのです。
これは私の考えですが、独りであることを100%認めるためには、その真逆の全体性の感覚を持っていると非常に有利なのです。
なぜなら、自我の孤独というのはかりそめの姿の一時的なものでしかないと理解することができるからです。
自我が消えて全体へと吸収されてしまえば、孤独というものは意味をなさなくなってしまうからです。
もしも私たちが自我の孤独から逃避することがなくなったなら、つまり孤独を紛らすための他者依存がなくなったなら、誰かと共にあることの問題が消失していく可能性が大でしょうね。