大学生の頃まったくの趣味で、ある哲学書を読んでいた記憶があります。それは、フッサールという人の「現象学」という本でした。
何やらとても難しいことがまた面白く感じたりして、自分はこんな難解な本を読んでいる、ということで悦に入っていたのだと思います。
とはいうものの、思い返せば「存在」ということを探求していたのだろうなと思うので、今自分が感じていることと関連がないわけではないかなと。
けれども、今と全く違っていることが一つあって、それはどれほど思考を巡らして存在の究極に迫ったとしても、それはただの思索に過ぎないと分かってしまったのです。
その思索が止んだ時に初めて、真理の近くにいくことができるのです。人類史上フッサールのように天才と言われた哲学者は数多くいます。
ただ彼らの誰一人として覚醒した人はいないのです。それは当然のことであり、哲学はどこまで行っても自我のゲームに過ぎないのですから。
哲学者が瞑想をすることで、それまでの思索が馬鹿馬鹿しいものだったと気づくことになったら、それはそれですごいことだなと思うのですね。