自我という個人には、残念ながら全体性というのを理解することができないのです。理由は、個だと信じているからです。
個というのは単なる概念(思考)であって、それが実在した試しはないのですが、全体性の代わりに自我がでっち上げたものがあるのです。
それが、「完全さ」です。自我は常に完全でありたい、完全を目指して突き進むという病的な部分を持っているのです。
完全さはいつか達成するべき未来にあるものですが、全体性は常に今この瞬間にあるものです。
もしも私たちが思考(自我)から意識へと中心をシフトしていくことができれば、完全などという概念の馬鹿馬鹿しさにもっと気づくことになるはずです。
私たちがいずれ死を迎えたときには、肉体に関連させられていた意識はあっという間に全体へと溶けていくことになります。
それはあたかも海面の飛沫の一雫が海の中へと戻っていくようなものです。そして、これまで活動してきた思考と感情のエネルギーが行き場を失うのです。
その結果、その波動に一番近い波動の子宮の中へと入っていって、次の人生がまた始まるというわけです。それが輪廻ですね。