異性であれ同性であれ、好きな人ができるって嬉しいことですよね。一緒にいるだけで楽しいし、今日も会えるなと思うだけでもワクワクするものです。
そのエネルギーは愛と呼んでもいいかも知れません。好き同士の関係が始まったばかりは、間違いなくそのシンプルさの中で居心地がいいのです。
ところが、しばらくすると相手が自分以外の誰かと仲良くしている姿を見ると、嫉妬心が湧いてきたりするのです。
もしも恋人同士だったなら、相手が別の人とデートしていると分かったら、もうそれは激怒するか、別れてしまうかも知れません。
なぜそういうネガティブな感情が湧いてくるのかというと、初めのうちは愛だったものが、知らず知らずのうちに執着へと変化してしまったからなのです。
愛のうちは、相手の自由を当たり前のように認めることができたのに、執着に変わったために、相手を不自由にしなければならなくなったのです。
このようにして、自我が愛を横取りして防衛へとすり替えてしまったのです。こうしたことは、他にも沢山あるのです。
初めのうちはただ喜んでやっていたボランティア活動も、しばらくするうちにこうした活動をしている自分はいい奴だ、役に立っているということで、防衛へと変化させるのです。
そうなると、面倒に思えてきてもそのボランティア活動を止めることができなくなり、結局自己犠牲の虜になっていくのです。
あるいは、幼い子供が大好きな両親のために、何かと助けようと必死になることがあるのですが、その愛がいつしか防衛へと変化してしまい、助ける活動が自分の居場所だと感じるようになるのです。
こうしたことは全て、自我が元々の純粋な愛のエネルギーを横取りして、恐怖のエネルギーへと変換して防衛へとすり替えてしまった結果なのです。
やっていること自体はあまり変化していないので、本人は横取りされたことに気付けないでいるので、何でこんなに辛いことになったのかが分からないのです。
自我の横取りに気をつけてください。横取りされないためには、日々自我の行動によく気づいていてあげることですね。
それには、いつものように意識的であることが重要です。
先程、まさに防衛による横取り乗っ取り、連れ去りみたいな事になりました。
尋常な自分が誘拐されたぐらいの感じのパニックで、意識的でいようとする自分は霧に覆われて、まわりが見えなくなったのです。
その後はひどい自己嫌悪。
今の自分に出来るのは自分の気持ちを見ること、受けとめること…自分を裁かない…。
あとできることは
自己嫌悪から離れること…かと思いますが…それも一つの方法となりますか?
気づけたことに感謝するだけでいいですよ。
そしてなるべくなら、もう二度とそれを繰り返さないでいられるように練習することですね。
ありがとうございます。
同じ事繰り返さないだけでいいと具体的に思えば、霧にまかれたときにはまかれたまま、はれるのを立ち止まって待ちます。