人生で何か辛いことがあったりした時に、毎日を忙しくすることで乗り切ろうとする人がいますね。
それは理にかなっています。忙殺されれば、嫌なことを思い出すことも減るし、何よりも思考の活動が緩むからです。
何かに熱中して我を忘れた状態では、思考は過去や未来へと飛ばなくなるのです。だから何かを忘れたい時には都合がいいのです。
ただし、夢中になるというのは、決して意識的であることと同じではありません。どちらかといえば、無意識状態であると言った方がいいのです。
お腹が空いたワンちゃんが、脇目も振らずに餌に食らいつく様を思い出せば、そこに意識がないのは明白です。
人間もそれと全く同じこと。何かに一心不乱に取り組んでいると、気持ちの良いものです。
それは思考の活動が低下してくれるからです。けれども、意識はどうかというと、大体は無意識状態なのです。
思考を落としても無意識になってしまうなら、動物や幼児と同じになってしまうのです。それでも、日頃から思考過多の人にとっては良いのかもしれませんが。
最も大切なこととは、思考があろうがなかろうが、意識的であるということなのです。
そして意識的であるとは、自分自身の存在に意識が向いているということです。そうなると、自動的に思考は静かになってしまうはずですね。