人生の中で人間は様々なことをします。人から褒められるようなことから、眉をひそめられるようなことまで。
私は懲罰的な考えが嫌いなので、基本的に悪意がないのであれば何をしてもいいと思っています。その結果誰かに迷惑がかかっても、ある程度は仕方ないと判断します。
道徳とか倫理と言った、人はこうあるべきという教えにはあまり興味を持つことが出来ないのです。
要するに何をしてもいいし、何もしなくてもいいというシンプルな生き方が好みなのです。きっと小学校の先生になったら、父兄からバッシングされてしまうかも知れません。
ただし私にも一つだけこだわることがあって、それは何をするにもその原動力をしっかりと見極めることが大切だということです。
ざっくり言えば、原動力とは愛か恐怖です。どちらか一方だけということは少なくて、大抵は両者が混じっているケースが多いものです。
愛が原動力の場合は、それをしたいからするというシンプルさがあるのですが、恐怖が原動力の場合は、未来に安心するためという別の目的があるのです。
前者は分かりやすいですが、後者の場合はすぐには気づけないかも知れません。どちらが多く混ざっているかを見極める一つの方法は、心の疲労度を見るということです。
前者の場合、それを継続しても疲労するのは身体だけで、心は元気なままでいることが出来ます。
一方後者の場合は、心が完全に疲弊してしまい、場合によってはウツ症状が顕れるかも知れません。どこかで継続出来なくなるのです。
努力は報われるという素敵な響きの言葉がありますが、もしも原動力の大半が恐怖であるなら、仮にいい結果が出たとしても精神を病んでしまう事になりかねないのです。
人が努力する姿を見て美しいと思うのは自由ですが、その努力の原動力が何なのかは本当のところ、本人にしか分かりません。
人に褒められようが、あるいはけなされようが、あなたの原動力がどちらなのかだけが大切だと気づくことです。
愛が多いなら満たされるし、その逆なら誰が何と言おうが速やかに撤退した方がいいということですね。