疑問も質問も答えもない

小さい頃には何か疑問なことがあれば、すぐに親に聞く子供でした。初めのうちは純粋に聞いていたものが、親に聞いてもあまり納得する答えをもらえないと分かってからは、あまり期待しないで聞いていたのです。

だから質問魔と言うほどではないにせよ、「なんで?」というのが口癖のようになっていたと思います。

大人になってもそうした部分はあまり変わらずにあって、分からなかったり、納得がいかないことは、それを問い正す傾向が高いのです。

ところがセラピストになってからは、質問をされる側の立場になったせいなのか、日頃疑問に思うことがあってもそれを解消しようとすることが減りました。

さらには、真実に近づきたいという思いが強くなってからは、より一層疑問がなくなってきた感じがします。

というより疑問がやってきたとしても、それをそのままにしておく習慣がついたのですね。なぜなら疑問は思考であって、それを解決したいのも思考だと理解できたからです。

真実はどんな疑問も質問も全く受け付けません。それが思考からくるものである限り、真実からはどんな答えも期待できません。

思考で理解できるようなどんな答えもないからです。飼い犬に、飼い主さんが仕事に出かける理由を説明できないのと同じようなものですね。

真実には疑問も質問もないし、同様にして答えというものもないのです。これが無の境地かもしれません。