私自身も含めて多くの人が、意識と思考の区別がしっかりできていないのです。もちろん知識としてはその違いを知っています。
けれども、実際には何が意識なのかをしっかり識別することができていないのです。瞑想が苦手な人に限らず、大抵は思考が無くなることがないからです。
誤解を恐れずに表現すると、意識とは思考が活動するための空間(背景)のようなものです。その思考の中に「私」がいるため、意識を逃し続けているのです。
Osho はこのように言うことがあります。「すべての努力は全世界を忘れることにある」
全世界を忘れるとはどういうことでしょうか?自分のことや、この世界のことを捉えて離さないのは思考なのです。
だからそれを忘れるとは、思考が落ちる時のことを指していると思えばいいのです。思考が働かなければ、思い出すということがなくなるからです。
思考が停止して残された意識だけになるとき、全く言葉で表現することができない世界に浸ることができるのです。
そしてそれは、ごく普通の生活の中においてもどこかで体感しているはずなのです。それこそが宝物であり、私たちの本質なのですね。