自分のことを覚えておく

私たちは、とにかく物語が大好きなのです。何が起きても、それを物語の一部として捉えてしまうので、物語が止むことはありません。

そしてその物語の中に没入してしまうと、そこから出てくることを忘れてしまうのです。

朝起きて歯を磨いている時、朝食をいただいている時、電車に乗っている時、職場で仕事をしている時、テレビや映画を観ている時。

誰かと楽しくおしゃべりをしている時、お風呂に入っている時、嬉しいことが起きた時、悲しいことが起きた時。

こうした全てを物語の中へと組み込む習慣があるのです。その上で、物語の中にいる自分を見ることを忘れてしまうのです。

自分のことを覚えておこうとする、ちょっとした努力を続けることです。それが意識的であるということでもあるのです。

そして自分を意識している間は、物語から少しは離れていることができるのです。その瞬間、物語など存在しないと気づくはずです。

巧妙な自我は、なんと意識的であろうとすることも人生という物語の一部だと思い込むのですが、それでも構いません。

自分のことを覚えておこうとする物語があり、その過程で物語から抜け出すことができるという物語ですね。

けれどもその結果は、本当に物語を見ている側になれるのですから。自我はこれも物語として見るのですが、真実はそこには物語などないのですね。

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