昨日のブログで、ハートとマインドの違いについて、そしてできればハート優位の状態になれると良いということを書きました。
だからといって、マインドが悪いものだということではありません。マインドはこの社会で生きるためには絶対に必要不可欠のものです。
マインドがなければ、みんなと楽しく会話をしたり、娯楽を楽しむこともできなくなってしまいます。
最大の問題は、自我との同化なのです。自我という「私」を自己と同一化してしまったことで、マインドによる自己防衛が必須になったのです。
そうなると、マインドの思考群によって煙幕が張られたようになってしまい、ハートによる感覚、感性が隠されてしまうのです。
あるがままの自分というのは一体どんなものなの?と分からなくなってしまうのには、そうした理由があったのですね。
場合によっては、マインドの働きによってハートが歪められてしまうこともあります。嫌いなのに好きと感じたり、ノーと言いたいのに、イエスと言って我慢してることにも気づかない。
マインド側にとって、ハートからの訴えが都合の悪いことがあったとしても、勇気を持ってハートを認めることです。
そうした練習を繰り返すことで、ようやくあるがままの自分の姿というものにまた出会うことができるのですね。