背景が「在る」ことに気づく

他に言葉が見当たらないので、「背景」とか「土台」とか言うしかないのですが、要するにどんなものにでもそれが存在するための「支え」のようなものがあるということです。

テレビ画像には、液晶や最近では有機ELといった画面があるし、映画上映にはスクリーンがあります。

演劇をするには、舞台という土台が必要だし、絵画にはキャンパスが必要なのです。そのことに普段から気づいているかどうかが大切なのです。

あらゆる音、音楽には静寂という背景が必要です。静寂から、すべての音が立ち上がってくるのですから。

そして私たちのこの世界、この宇宙にも背景があります。そのことを昔から「無」とか、「空(クウ)」などと呼ぶのです。

空(クウ)といっても、空っぽというニュアンスよりも、「無(何もなさ)」で満ちているといった方が近い感じがします。

この現象世界のすべてが、「無」という背景から立ち上がってくるのですね。私と一緒にエクササイズしませんか?

ほんの10秒程度でも大丈夫です。背景に意識を向けてみてください。最初は分からなくてもいいので、真似事で構いません。

そのうち、その無限性、全体性がドーンとやってきて圧倒されるかもしれません。そして、それこそがこの自己の本質だと気づくことになるのです。