もしどうやってハッピーにしているかを知っていれば
あなたは悲しみのときをもたのしむことができるだろう
それは楽しむに値する
その中には何かがある
というのも
生の中に貴重でないものなど何ひとつないからだ
ただ、どうやってそれを楽しむかがわかればいいだけなのだ
by osho
↑これによると、悲しみであれ何であれ、それを楽しむことは可能なのだということですね。たとえ痛みであれ、どんなに苦手なことであっても…。
自分が苦手だと思っていることを挙げてみると、真っ先に浮かんだのがクルマの渋滞、あるいは行列の中で待つということ。
日曜日ともなると、事務所がある吉祥寺の街は人人人で溢れかえって、なおかつ猛暑の中であちこちのお店の前で行列ができているのです。
自分には到底耐えられないと思いながら、白目でちょろっと見てそこを通過するのが精一杯なのです。
いつ自分の番が回ってくるかもわからない行列を待ち続けることを、一体どうやったら楽しむことができるのかと考えて見ました。
きっとディズニーランドでアトラクションに並んでいる人は、平気で1時間2時間待てるのでしょう。
というよりも、待つことを楽しんでいるということかもしれません。初めてのデートで好きな人と待つのであれば、ちょっと気分が違うかもしれないですね。
この先に楽しみがあるから耐えられるという感覚よりも、それ自体を楽しむということの方が本質的な気がします。
ならば、どんなことであれそれ自体を楽しむということを意識的にやってみる、ということ自体を楽しむことができればいいのでしょうね。