私たちは、みんな自分という存在は何か大切なものでぎっしりと詰まっていて欲しいと直感的に感じているのです。
もしも自分の中身が空っぽで空虚であるなら、心もとない気がして不安に苛まれてしまうはずだからです。
ところが、真実はどうかといえば個人という自分の存在自体がイメージでしかないため、足りない空虚感を外側の何かで埋めようとするのです。
幼い頃であれば、自分にとって大きな存在である親であるとか、もう少し成長すれば好きな人だったり、戦う相手だったりで埋めるのです。
そうやって内側を埋めるために使った外側のものは、それが永遠に続くわけではないために、次から次へと変わっていくのです。
けれども変わらないのは、常に何かを外側から入れ込んでそこを満たすという生き方なのです。
これこそが依存の正体です。内側の空虚を満たすために入れ込んだ外側のものがなければやっていけないという切実な思い、これが依存心です。
そしてその依存している対象を決して失いたくないと強く願うことが執着になるのです。つまり依存と執着は一つものなのです。
もしも自分の内側を、自分自身で満たすことができるなら、そのときには依存も執着も消えていってしまうでしょうね。
そのときに初めて、自由で清々しい人生を生きることができるはずなのです。