私たちのマインドというのは、「知りたがり屋」なのです。分からないことを分かるようにしたいという欲求を常に持っているのです。
もっとも、分かろうとする対象というのは、そのマインドによって違いがあるのですが、たとえば相手の気持ちだったり、宇宙の構造だったり…。
「知りたがり屋」の根っこにあるものは、決して「知り得ない」ということに深いところで気づいているからなのだと思うのです。
知識というレベルでは、それを増やしていくことは勿論できるのですが、本当の意味で「知る」というのは不可能なことなのです。
「真に知る」とは、それで在ること以外にはないということ、思考がとまったときにこのことは理解できます。
逆に言えば、「知りたがり屋」が知ろうとする努力が無駄であり、それに降参することができたなら、思考がやってこなくなるのです。
思考の飢餓状態になったとき、マインドは自然と落ちてゆくことになるのですね。そうして内側には完全なる静寂がやってくるのでしょう。