存在と存在は対等

大画面のテレビが欲しいなあと思って、販売店に行ってあれこれ比べたりしていたときに気づいたことがありました。

それは、同じ画面サイズのものでも、自分の目線より下にある場合と上にある場合で、サイズ感が変わるということが分かったのです。

誰にとってもそうだとは言えませんが、とにかく見上げた場合には、画面が比較的大きく感じるし、見下ろすと画面が小さめに感じるのです。

だとしたら、より大きい画面のものを買ってもらおうとしたら、客の目線よりも少し下側にテレビを配置した方がいいということですね。

下にあると、少し小さめに感じてしまうので、もっと大きい画面のものが欲しくなるということなので。

こうした感覚というのは、人間同士でも似たようなことが言えるかもしれませんね。見上げる相手は大きく感じ、見下ろす相手は小さく感じる。

大きい小さいは、物理的な身体の大きさだけでなく、社会的な地位や内面的な部分まで影響されるのかもしれません。

つまり相手をあるがままに見るためには、精神的な部分で見上げたり見下したりをしないでいられることが必須条件だと言えます。

そうした対等な関係性を築くためには、相手の外見や社会的な立場ではなく、相手の存在に意識を向けること。

存在対存在だけが、唯一真に対等なものだからですね。

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