理由のない満足だけがホンモノ

クルマの自動運転が現実的なレベルになってきましたね。本格的に実用になる時代がもうすぐそこまで来ている気がします。

それと同期して、きっと電気自動車が普及することになって、そうなると充電は無線で送電できるようになって、充電スタンドも不要になるかもしれません。

自動運転が普及すれば、マイカーを所有するということに実質何の意味もなくなってしまうでしょう。

どうしても自分で運転したいとか、あのクルマを所有したいといった一部の金持ちの趣味として残るだけになるはずです。

車が必要な時には、スマホで呼び出して目的地まで連れて行ってもらうだけ。車中では、もちろん仕事をすることもお酒を飲むことも、睡眠を取ることだってできるのです。

さまざまな店舗やオフィスには駐車場が不要になるため、建築物の様相も違ってくるはずですね。

日本は土地が狭いのでそれは都合がいいです。人が運転するよりも自動運転の方が圧倒的に安全であることを誰もが認めるようになるはずです。

クルマ同士の事故はほとんどなくなるし、人身事故も減るでしょうが、ただなくなることはありません。それは人に落ち度があるからです。

とまあちょっとイメージすると、いいことずくめのように見えますが、人は生活が便利になったからといって満たされるというわけではありません。

それは全く違うことなのです。毎日2時間かけて、飲み水を汲みに遠い場所まで歩いて行かねばならない地域に暮らしている子供が、不満だらけかというとそうではないからです。

便利さはすぐに慣れてしまいます。満足に理由がある場合には、その満足は一過性のものだということです。

理由のない満足だけがホンモノなのですが、それを外側に求めることはできません。内側を深く見ることでしか見出すことはできないのですね。