そこに洞察が、了解が、突然の明晰さが、透明さがやって来るようにしなさい─「私は苦しみではない」それを、あなたは見る。いいかね、見ることが肝心だ。それは、記憶から取ってくる答えではない。それは、あなたの存在のもっとも深い核心からつかみ取るべき洞察なのだ。
by osho
↑そういった深い洞察というのは、エゴのものではないのです。エゴとは思考、つまり過去の記憶から作り出されたものでできているので、全てが古臭い。
どれほど新しい体験だと思ったとしても、どんなに斬新な発想だと思えたとしても、所詮は過去の焼き回しに過ぎないのです。
以前自己の不在を体験したとき、これまでの人生で体験したどんな体験とも全く違うものでした。
なぜなら、通常は体験には体験者としての自分が絶対に不可欠だったのですが、その体験は体験者がいないという体験だったからです。
これがどんな体験なのかを想像してみたところで、そこに近づくことすらできないのです。想像できないというのが正しい表現でしょうね。
イメージできるということ、イマジネーションというのはすべて過去の記憶からやってくるものだからです。
そして非常に残念なことに、不在体験から戻ってきた時点でエゴは自分の奇妙な体験だと思い込んでしまうのです。
過去になってしまったものへのエゴの解釈というのは、本当に自分勝手でそれこそがエゴイスティックな洞察に違いないのです。
エゴの努力では真の洞察を得ることができないということが、なんとも悩ましいところなんですね。