自分の不在を見る

汝自身を知ること。そしてあなたが知るその日、あなたは自己は存在しないことを知る。
自己は存在しないことを知るその日こそ、あなたは知ったのだ。内側にはまったき空がある。完全な空、乱れることのない静けさ、汚れなき静寂が。誰も存在したことはなかった。それは夢にすぎなかった。

by osho

内側には誰もいないという自覚。こんな不条理なことはないと思いませんか?誰もいないのであれば、誰が自覚するのかという疑問が湧くからです。

この不可思議さがどこからやってくるのかを見てみると、どうやら私たちはなにが起ころうと、それを認識している個人の自分がいると思い込んでいるのです。

何かを経験すると、それを経験した自分がいると思っているのです。歩く、走る、考えるなどのどんな動詞であれ主語が必要だと信じて疑わないのです。

石が転がる、犬が吼える、人が歩く、のような場合は主語があっても問題ないのですが、それと同様に私が歩くとすることが当然だと思っているのです。

こうしたことはすべて、私がいるということが当然のこととしていることからやってくる感覚なのです。

自分の当たり前を一旦脇に置いて、静かに内へ内へと入っていくとどうなるのか、それを見てみる時間を作ってみるといいかもしれません。

世間は連休の真っ只中、あなたはどんな時間を過ごすのでしょうか?