ある夏の日、草むしりかなにかをしているうちに、一休は疲れてきた。暑い日だったので、彼は寺の縁側にあがって、涼しい風にあたった。あまりに気持ちがよかったので、彼は寺のなかにはいり、仏壇から仏像を持ち出して、それを外の柱にくくりつけるとこう言った。
「さあ、あなたも涼みなさい!」
by osho
一休さんというと、トンチを出してくれる人という印象が強いですね。けれども、↑この逸話はいわゆるトンチではありません。
いくら自分が涼しい風に当たって気持ちよかったからと言って、仏像にあなたも涼みなさい、というのは変ですよね。
仏像はどこまでいっても仏像でしかないのですから。一休さんが言いたいのはきっとこういうことだと思うのです。
もしもこの話がおかしいと思うなら、あなた方も同じようにおかしなことを日頃やっていますよ、という暗示なのです。
つまり、私たちは誰かが作った仏像を仏の代わりにして、拝んだり有り難がったりしているのですから。
いわゆる偶像崇拝というものですが、それを普通にやっているのですから、仏像を擬人化したっていいじゃないかというわけです。
なんだか皮肉だなと思われるかもしれませんが、とても深い示唆を含んでいると感じますね。
難しそうな顔をして説教をするお坊さんはいくらでもいるのですが、それよりも余程機知に富んでいると思いませんか?