ずっと見つめているもの

あなたが死ぬとき、このことだけを考えなさい。死の前に、一つのことを解決するがいい。つまり、あなたは苦しんではいない、ということだ。それから、死に入っていくときには、問い続けることだ。 『この、苦しんでいない人とは誰なのか?』と。

by osho

この問い続けることは、実はいつでもどこでもできることであって、死ぬ時に特化したことではないということです。

いつだって、これは誰?これは何者?これは何?ということを問い続けることができるのです。

このずっと一緒に在るもの、激しく動き回ったりあらゆる反応を繰り返すマインドの後ろにずっとくっついて、静かにしている何か。

マインドの活動が盛んになると、すぐにその存在を忘れてしまうのですが、忘れようが思い出そうがそれがなくなったことはないのです。

私たちはマインドこそが自分自身だと思っているのですが、それならそのバックに控えている形容し難いこれは一体なんなのか?

嬉しい時に一緒に喜ぶわけでもないし、苦しい時、辛い時に一緒になって苦しんでくれるわけでもない。

ただただじっとそこにいて、いつも見つめているもの。本当はそっちが本来の自分なのだと分かるまで、それは辛抱強く待ち続けているのです。

何かの拍子に、そちらからマインドを見ている瞬間を感じるときが誰でもあるはずなのですが、マインドは巧妙にそれを忘れさせようとするのです。

それでもずっと在るもの、そこにすべてを委ねて見たら世界が違って見えてくるかもしれないですね。