人生で遭遇する様々な感情、あるいは気持ち、幸不幸、達成感、万能感、罪悪感、否定感、絶望感、憂鬱感、それこそ挙げだしたらきりがありません。
こうしたあらゆる内面的なものはすべてがエゴの範疇にあるのです。つまり、エゴがあるからこそそうした感情や感覚、気持ちになることができるのです。
そんなエゴが、唯一知らないもの、それが至福感なのですね。なぜなら、至福感だけは、エゴの不在のときにしかやってこないからです。
勿論狡猾で抜け目のないエゴは、自分が不在のときにやってきた至福感についても、エゴが戻ってきたときに自分の体験だとするのです。
だからエゴでも至福感を体験できると思い込んでいるのです。そういえば、私自身自分が不在になったことがあったのですが、それも自分が体験したことだと思い込んでいるエゴがいます。
笑い話としか思えないようなことですが、これ事実です。自分という個人が不在だとはっきり分かっているのに、その体験を自分がしたと言い張るのですから。
こうしたおかしなことが起きる一つの理由として、記憶そのものはエゴがあるときでもないときでも変わらないからなのでしょうね。
覚醒してしまうと人はどうなるのでしょう?という質問をいただくことがたまにあるのですが、それはエゴという本人が消えてしまうのですから、予想ができない感じがするのでしょう。
実際には、エゴが消えた後もそれまでの記憶はそのままに残るので、基本的には昨日と変わらない今日がやってくるはずなのです。
ただし、エゴがあったときの記憶を思い出すと、自分以外の誰かの過去の記憶を思い出しているという感覚になるかもしれませんね。