人が幼少期にエゴを作る上で絶対的に必要だったのが、いつもそばにあったこの身体なのです。つまり身体と同一化することでエゴは出来上がったとも言えるのです。
一度身体に同化してしまうと、身体が自分だと思い込んでしまうと、身体の行動が自分の行動になり、身体があるところが自分がいる場所になるのです。
さらに身体の美醜が自分の美醜にもなるし、身体のサイズが自分のサイズということになるわけです。
そして身体の内側だけが自分の領域だという感覚も育つのです。この身体の内側感、身体のサイズ感というのが非常にしぶとくて、もうほとんどそれが思い込みだとは思えないのです。
けれども少しスピリチュアリティが上がってくれば、自分は身体ではないということにも気づけるようになるのです。
だとしたら、自分はどこにいるのか?自分という存在のサイズは?ということが疑問になってくるのですが、この問いに対する明確な答えは残念ながらないのです。
なぜなら、私たちの本質はこの身体が所属しているこの世界の中に在るわけではないからです。敢えて言えば、この世界を包含する全体性こそが真の自己なのです。
こうしたことを感じながら、向こうに広がる世界を眺めていると、自分の本質がおぼろげながら分かるようになるかもしれないですね。