真実とは主観の世界

真実というのは私たちが知っている常識だとか、科学が解明してきた事実とかの延長線上にはないのだろうと思うのです。

論理的なこととか、思考で把握できることとかをはるかに超えたところに、真実は厳然と横たわっている感じがします。

例えば、人が何かの対象物を見るというメカニズムを科学的に言えば、何らかの光源からの光がその対象物に当たり、反射した光がその人の目の中へと入る。

その光が作った網膜上の像が、電気信号に変換されて脳へと送られる。その後様々な処理が脳内で行われた末に、見ることに至るのです。

これは勿論、科学的なそして客観的な事実なわけです。けれどもそのことが、主観的な見るということにどうもそのまま結びつかない気がしませんか?

科学で解明できることというのは、あくまでも客観的な事実であって、主観的な世界では用をなさないのです。

客観的事実と主観的な世界を同一視しない勇気を持つなら、真実はいつでも目の前に広がってその姿を見せてくれてるのですね。

誰が何と言おうと、実際世界中の誰もがあなたをそれとして見ている姿は、あなたが主観的に自分を見る姿とは全く異なることがあってもいいということです。

そして真のあなたの姿、あなたの本質はあなた以外の誰も見ることはできないのです。それが主観の世界なのです。

真実は、あなたが自分に自信があるとかないとかと言うことを気にせず、自分が見たままを正直に認めることを、ずっと待っていてくれているように思います。