子供の頃に親から褒めてもらえなかったので、大人になっても周囲から褒めてもらいたいという欲求があるという人がいます。
褒めてもらうと嬉しいからと…。言葉を変えれば承認欲求が強く残っていると言うわけですが、これは若干正しくありません。
褒めるというのは、条件付きで肯定するということです。つまり、100点とったから褒められるのであって、100点とるということが必須なのです。
子供の頃にある程度受けとめられたという感覚があれば、殊更褒めて欲しいとは思わなくなるのです。なぜなら、100点とって褒められたら、10点とったら否定されると分かるからです。
また褒めるというのは、実は褒める側の勝手な気持ちであって、受け止めることとはまったく違うということにも気づくことです。
褒められる対象が自分の言動や成果であるのに対して、受け止められる対象は自分という存在なのです。
存在を条件付きで肯定することはできないので、しっかり受け止められた子供は、この違いをはっきりと肌で感じ取っているのです。
受け止められた感が乏しくて不安を抱えていると、条件付きだろうがなんだろうが構わないので、褒めてもらうという分かりやすい方法を希望するようになるのでしょう。
大人になっても褒めて欲しいが強く残っている場合には、とにかく「存在」に意識を向けるように練習する必要があります。
存在価値についてセッションでお話しすることが多いのですが、実はこの言葉は自己矛盾を持っています。なぜなら、存在を価値判断することはそもそもできないのですから。
存在は思考がないときに、ずっしりと感じるものです。したがって、存在に気づく練習をすれば、おのずと思考から離れることを意味しますので、一石二鳥なのですね。