生におけるもっとも美しい瞬間、それは混乱も確かさもないときだ。人はただ、在る。鏡があるがままを映し出している。どんな方向性もなく、どこにも向かわず、何かをしようという考えもなく、未来もなく…ただ完全にこの瞬間に、とてつもなくこの瞬間に在る。
by osho
思考はいつも二元性の中にある。二元性の中でしか活躍できないからです。というよりも、思考こそが実在しない二元性というものを生み出している張本人なのです。
だから思考では、混乱も確かさもないという瞬間を捉えることができないのです。思考はどちらでもないというのを最も嫌うからです。
混乱も確かさもない、それはただ在ると言っているのですが、それは在り方に違いはないということですね。
さらに言えば、存在するということと存在しないということの、どちらでもないというのも思考には想像することができませんね。
けれども実在は思考などに構うことはありません。量子力学の世界においては、存在するか存在しないかのどちらでもない世界を扱うのです。
私は個人的に、思考が降参せざるを得ないとき、何かしら無情の喜びのようなものを感じてしまいます。思考が白旗を挙げるとき、自動的にサレンダー状態になっているからなのでしょうね。
そのくせ、一方では思考を使ってあらゆるものごとを完全に把握したいという根深い願望も持っているのですからやっかいです。
どちらをメインにして生きればいいかというのは、↑上の osho の言葉を読めば明らかなんですけれど…。