心というのはメカニズムだ
それは独創的でなどあり得ない
それは生きてさえいないのだ
どうしてそれが独創的であり得る?
それは社会的なものだ
それがゆえに、覚者たちが口をすっぱくして
心を落とさない限り
真実を知ることはできないだろう、と強調する
真実はつねに独創的なものだからだ
by osho
↑この「心」というのは、マインドのことを指しているのです。日本語で「心」と言うとき、マインドのことを指す場合とハートのことを言う場合があるため、間違いやすいのです。
だから私は、なるべく心という単語を使わないようにしています。心を落とすという場合の心は、マインドのことだと思って間違いありません。ハートを落とすことはできないからです。
ハートはマインドが優位になるにつれて、反対に抑圧されてきたものです。ハートは感じ、マインドは考えるのです。
私がまがりなりにもセラピストをやっていられるのも、実は私たちのマインドというのはそのメカニズムにおいては、どれも同じだと知っているからです。
一人一人のマインドのメカニズムが違っているとしたら、この世界からセラピストなど消えていなくなってしまうはずです。
だから真に独創的なマインドを持った人などいないということです。エゴは自分のことを、良しにつけ悪しきにつけ特別扱いしたいのでしょうが、それは無理なこと。
結果としてどんな状態のマインドであれ、癒しの方法について基本的には違いなどないのです。違って見えるのは、表層の部分だけなのです。
だからどんな育ち方をしたところで、み〜んな同じ。自分だけ劣っていると思うなら、それはエゴの作戦なのです。
どんな人にも劣等感はあるし、罪悪感も執着心も憎しみも嫉妬も全部品揃えしています。だれでも同じマインドのメカニズムに突き動かされて生きているのです。
そこを見抜けば、もっともっと気が楽になるはずです。