意識とはスクリーンのこと

母国、人種、宗教、家族、伝統、そして
今までに受けた傷、それによろこび
その起こったすべてが自我なのだ
そしてあなたは
これらのことすべてが起こった対象だ。
この区別を理解しておかなければならない。
あなたは
それらすべてが起こったその人
だがエゴとは起こったことそのものだ。

by osho

↑この意味をどのように解釈すればいいのでしょう?なかなか分かりづらい内容だと思います。私自身もそれほど深く納得できているわけではないかもしれませんが…。

例えば、映画館で上映されている映像を見てみると、その映像によって様々なことが表現されているわけです。映像の中身こそが、擬似的とはいえ起こったことそのものです。

それがエゴであるとするなら、その映像が投射される対象がスクリーンなのですが、そのスクリーンこそが我々の本質だということです。

エゴというのは、あらゆる起こったことと無意識的に自己同化してしまっていると捉えてもいいのです。私たちの本質は、すべての自己同化が外れた後に残るもの。

それはナニモノでもない、何も無さ、映像自体はスクリーンによって支えられているのに、そのスクリーンの存在を映像(起きたこと)は知らないのです。

なぜなら、映像(起きたこと)は物語であり、スクリーンはそれを見守る側だからです。意識的であるということは、スクリーンとしての自己に気づいている状態ということですね。

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