借り物の知識を避けること
借り物の知識というのは心のトリックになる
それは無知を覆い隠すのだ
それは決して無知を打ち壊しはしない
そして知識に取り囲まれれば取り囲まれるほど
内面深い中心において
まさにあなたの実存の根において
無知と暗闇が存在する
by osho
知識というのは、すべからく借り物であり、貰い物だということです。知識とは、そういう情報があるということを単に知っているということだからです。
知識が豊富であれば、物知りだという評価をもらえるし、クイズ番組では優勝することができるかもしれません。
けれども、どんな知識も自分の血や肉になることはないのです。本当に知るためには、体験すること以外にはないですし、それが気づきへと繋がるのです。
深い理解である気づきは、どれほどの知識をかき集めたところで手にすることはできません。それはやってくるものだからです。
知識そのものに良いも悪いもないのですが、知識は自己防衛に利用されることが多いのです。そうなると、知識は自分が無知であることを覆い隠すのです。
最近テレビの情報番組などでよく見かけるようになった、自称知識人と言われるコメンテーターの話す内容が、あまりにも薄っぺら過ぎて笑えるくらいです。
瞑想をすると、自分は何も知らないということに気付かされますが、そこが私たちの原点なのです。
知識は物語の中で表面的にだけ役立つように見えることもあるのですが、最も大切な無知に気づけなくなってしまう危険なものだともいえますね。