思考と深刻さはセット

物事を深く考えようとするタイプの人と、それはそういうものなんだからまあいいやで済ませるタイプの人といますね。

つまり何事にも疑問を感じて追求することと、そもそもあまり疑問を感じないということの違いなのかもしれません。

疑問を感じる傾向が強いということは、そこに思考がいつもあるわけです。思考がなければ疑問は生まれて来ないのですから。

そして思考する人は同時に深刻さも持ち合わせている場合が多いのです。ノー天気な人が深刻さを持たないのと同じように…。

真理の探究は、勿論のことその物事を追求する思考が下支えしているのですが、だからこそ探究者は一般的に深刻そうな表情をしているのです。

そして生憎なのですが、真理には深刻さと同時に近づくことは不可能なのです。だから探究はうまく行かないことになっているのです。

結局、探究はその探究者から深刻さが落ちたときにこそ、終わりを迎えることになるのです。これ以上皮肉なことはありませんね。

努力が、努力はいらないと気づくまで必要なのと同じように、探究も探究の原動力である思考が不要と分かるまではやっぱり必要なのですね。

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