私たちはありのままの現実を見ていると思っているのですが、それは思考が作った世界だということです。これは瞑想をすることでしか気づけません。
日頃、思考の世界にどっぷりと浸かったままでは、どうやったって気づきようがないのです。朝起きてから夜寝るまで、ずっと思考が活躍し続けているのです。
寝ている間であっても、思考は動いてそれが夢となるのです。だから、現実と夢の違いがそれほどはないといっても過言ではないのです。
動物にも思考はあるのでしょうけれど、人間のそれとは比べようがないほどシンプルなはずです。私たちは、言葉を使うようになったために、非常に複雑な思考を扱えるようになったのです。
言葉は思考そのものですから。コミュニケーションをするためには、言葉はとても大切なツールであり、無くすことができません。
けれども、言葉を遮断して思考が働かなくなったときに、初めて私たちは至福を実感することができるのです。至福とは、理由のない本来備わっているもの。
瞑想に入れば、どんな言葉もなくなり静寂そのものとなります。そこではあらゆる信じ込みが消えてしまい、osho の言葉でさえも無意味になるのです。
それは最強です。何もなさで充満しているのですから。それに気づかずに死ぬのはもったいない、などというたわごとも、無へ入れば消えてしまうのですね。