偉大な宗教はすべて冒険者、
若者、虐げられた人、抑圧された人、
犯罪者、罪人たちと共に始まる。
そしてどの宗教も、敬意を受けるようになり、
聖人が到着し、教会が開かれると、
息をひきとる–宗教は死ぬ。
by osho
宗教とは本来、究極の救いを求めて探究を始めたところに起こるものです。それは自然発生的であり、それだけに非常にシンプルなもののはずです。
それは苦しみは物語の中にこそあるのだということの気づき、洞察を通して発展してきたものだったのですが、そこへ必ず新しい物語が起きるのです。
それが、聖人と呼ばれる人々を生み、シンプルだった宗教を組織化することになって、また別の苦しみという物語を作ることになるのです。
宗教はあくまでも完全に個人的なもの。そこに、社会の中でどう生きるべきかとか、倫理や道徳などが入り込めば、物語の中へと逆戻りしてしまうのです。
有名人が不倫でもしようものなら、一斉に吊るし上げを行なって、謝罪会見で頭を下げた瞬間に、フラッシュがシャカシャカたかれ…。
謝罪の方法がどうだったかをみんなで話し合うなど、こういうときにこそ、「人のことを考えるな、さもなければ成長はない」という言葉を思い出す必要がありますね。
独りでどこまでも内側へと入っていくことで、物語の中での自分は真の自己ではないと気づくなら、救いは必要ないと気づくのです。それこそが真の宗教なのだと思います。