「誰でもなさ」こそが真の救い

ときとして静かに坐ることがあったら

目を閉じて感じてごらん

自分が誰であり、どこにいるのかを–

深く進んでごらん

すると不安になるかもしれない

なぜなら、深く進めば進むほど

あなたは自分が誰でもなく

ひとつの無であるにすぎないのをより深く感ずるからだ

by osho

 

1日のうちに何度もこの感覚になるのですが、最近ではクライアントさんとのセッション中にも感じるようになったのです。

というよりも、普段よりもセッション中の方がはるかに意識的でいられるのでしょうね。私にとっては、セッションは一種の瞑想のようなものなのです。

セッションを意識して、クライアントさんと対話している自分をただ見ている感覚が、とても強くなるようになったのでしょう。

この誰でもなさを感じていることが、一番の救いかもしれません。そうそう、このブログを書こうと思ってキーボードに手を置いたときにも、似たような感覚がやってきてくれます。

1日に1回、たとえ1分でもいいので、この「誰でもなさ」に浸る時間を作って欲しいと思います。自分が誰かである限り、本当の安らぎがやってくることはないのですから。