人類が共通して持っている最大の勘違い、それは自分が全体から分離した個人だという思い込みです。この勘違いが、人生という物語を紡ぎ出しているのです。
この思い込みはマインドの非常に奥深いところにあるために、通常はそれを看破することが困難になってしまっているのです。
また、その思い込みをすべての人がまったく同じようにしているために、決して気づくことなく人類の歴史とともに存続してきたのです。
勿論例外もあって、ごく一部の賢者や覚醒した人たちだけが、このことを悟り、伝え続けてきたという歴史があるのも事実です。
深い思い込みは、本人にとっては完全なる事実、あるいは真実となってしまっているために、死ぬまでこの勘違いには気づかないのです。
ところが最近では、ごく普通の人の間でもこのことが話題になるようになり、人類の意識レベルが大きく変化しようとしている感じがするのです。
どこをどう見ても、やっぱり自分には固有の意志があって、自律的に生きている個人としか感じられないという事実を、無理やり捻じ曲げる必要はないのです。
個人としての感覚を否定するのではなく、それはそれで置いておきながら思考から離れることで、あらゆるところに全体性が充ち満ちていると感じることもできるのです。
所詮この勘違いを思考で取っ払うことはできないのですから、個人を否定する代わりに全体性に意識を向ける練習をすることが大切なのでしょうね。
全体性に意識を向ける訓練とは?
たとえば、部屋の空間を見ようとすると、壁に目が行ってしまうと思うのですが、それでもめげずに空間を見る練習をしていると、思考の停止とともに空間を意識できるようになります。そのときには、全体性を感じるはずです。試してみてください。
即レス!嬉しいです!
「観照」つまり眺め見守るというのもそうなのでしょうか?
体感的には思考と意識の違いがわかるという感じなのですが全体を感じるとまではいきません…
観照できるなら、思考が小さくなっていることに気づくはずです。そのときには、個人としての自分が退いて、代わりに自己だけになるはずです。それが無(極小)であり、全体性(極大)でもあるということです。考えずに練習するしかないですね!