ある映画を観ていてふと思ったのですが、薬物に依存している人というのは、そうでない人と比べると、薬物を摂取したときの快感と、それが切れたときの強烈な苦しみの両方を体験しているのですね。
薬物依存ではない我々一般人は、極端とも言えるそのどちらの感覚も経験してないわけです。快感の方だけを経験したいと思っても、そうはいかないことを知っているので手を出さずにいるのです。
天にも昇るような夢見心地を得たいと思っても、常習性があるということも危険だと思うからこそ、理性によって手を出さずにいるのです。
薬物依存者のアップダウンの激しさからすれば、そうでない人は波がなくて安定している反面、つまらない感じもするかもしれません。
それと同じことが、我々一般人と覚醒した人の間にも言えるのではないかと思うのです。覚醒すると、物語から抜けている状態なので、マインドが波立つことがなくなります。
というより、マインドがなくなると思った方が近いかもしれません。一方で、人生という物語の中で泣いたり笑ったりしながら何とか生きている私たちは、毎日刺激の中で暮らしているのです。
物語の外へ出たなら、きっと凪いだ海のようでとてもつまらないものに思えてしまうかもしれません。けれども、マインドの外から見たら、物語の中での暮らしは一種の薬物依存と言えるのです。
私たちにとって、薬物がなくても生きていけるように、覚醒してマインドの外に出られるなら、物語がなくてもまったく問題ないばかりか、そこにこそ至福があるのでしょうね。