私が思うに、人間は誰でも深いところで絶望を隠し持っているのではないかと感じるのです。絶望などというと、何か大げさな表現のように思えるかもしれませんね。
けれどもこれは決してオーバーに言っているのではなく、命がかかったくらいの絶望なのです。もちろん、その絶望に気づいている人も気づかずに一生を終える人もいるでしょう。
多くの人は後者だと思います。だからこそこの話はきっと、受け入れ難いのだろうと思うのです。絶望する理由は、自分をペテンにかけているからです。
どんなペテンかというと、これが自分だという騙しです。本当の自己を隠しておきながら、周囲から教わったことを無理矢理信じ込ませたのです。
そうでなければ、この社会では決して生きていくことができないと感じたからでしょうね。人間はそういう意味で、誰でもペテン師だということ。
それなくしては生きて行けないのですから、絶望しているに違いないのです。そして次のペテンは、その絶望すら隠して分からないようにするのです。
この世界で元気に生きている人は、自分に対して、この二重のペテンにかけているということです。だからこそ、どこかで憂鬱さを持っているのでしょう。
集団催眠状態と言ってもいいかもしれません。誰もが同じように、人物としての自分がいるという催眠(自己暗示)にかかっているのです。
ときには、その強烈な暗示が溶けることもあるのですが、それが自分はいないということに気づく体験となるのです。
いずれにしても相変わらず人生は続いていくのですが、隠し持っている絶望を少しでも見ることができるなら、奥深いところにある至福にも同時に気づけるのだろうと思うのです。