「終わりよければすべてよし」という言葉がありますね。いろいろ大変なこともあったけれど、今考えるとそれもすべてOKと言える、のような感じでしょうか…。
狭い捉え方をするなら、たとえばテニスの試合で、何度も負けそうになったのに、結果としてフルセットの死闘の末に勝利するというのも該当します。
けれどももっと大きなレベル、たとえば人生レベルで考えたなら、若い時には大変な苦労をしたのだけれど、年老いて過去を振り返った時に、満足のいく人生だったとか。
都合の悪いことが繰り返し起きたけれども、今では希望が叶って幸せな人生になっているということもあるかもしれません。
けれども私が理想としている、終わりよければすべてよしというのは、希望が叶う人生というよりは人生が終わるということを穏やかな気持ちで受け入れられる、そんな感じですね。
どんな都合の悪いことが起きたのかとか、どれほど願いが叶ったのかといったことではなくて、「私」が消えて行くことを静かなマインドと共に立ち会うということ。
それができるなら、それこそが本当の意味での「終わりよければすべてよし」なのではないかと思うのです。
そしてそれなら、きっと可能だろうということが今この瞬間でもわかるのです。多分それはいかなる瞬間でも成立するマインドのあり方だからなのでしょうね。