このブログでも何度も書いていることですが、人生を物語として見る目を養うことがとても大切なことだということ。
このことをもう少し丁寧に表現すると、物語の素材を形成しているのは私たちのマインドの中にある思考なのです。
思考は時間経過と共に働くある種のプロセスであり、そうした単純な思考素材が寄り集まって、複雑に絡み合うようになるのです。
その思考群を外側の世界に投影することで、この世界や人生を物語のように作り込むのです。つまり、マインドという物語がそのまま投影されて人生となっているのです。
ところが、私たちは思考群であるマインドと深く同化してしまっているために、投影していることに気づくことができなくなってしまったのです。
それで、人生の物語性に気付きにくくなったというわけです。自分が日々見ている外側の世界は単なる現象界なのです。
マインドはそれに物語性を付加して、マインドそのものが見たい世界を作り上げているというわけです。そこにあらゆる喜怒哀楽の土壌があるのですね。
世界や人生の物語性を見抜くことができるなら、それはそのままマインドとの同化をも見抜く力を持つということです。
その結果、人生もその中で生きている「私」も、どちらもが架空の存在であるということに気づくことになるのです。