圧倒的な強さでボクサーのチャンピオンの座に君臨している選手、あるいはカーレースの最高峰であるF1の世界で、何度もワールドチャンピオンになったドライバーもいました。
こうした飛び抜けて強い選手のことを、向かうところ敵なしといったり、もっと省略して「無敵」というように表現することもありますね。
「無敵」というのは、誰も太刀打ちできるものがいない、つまり敵として戦えるような者がいないくらい強いという意味です。
けれども、この「無敵」は絶対的なものではありません。時代が変わり、年齢を重ねると同時により若い選手が台頭してくるものです。
そしていつかは、敗れるときが必ずきます。つまり、この「無敵」さには制限があるということです。一過性の強さであることに間違いありません。
私が若い頃は、世界中に沢山いる有名なギタリストの中で、誰が一番上手いのかということが話題になることがありました。
今思えば馬鹿馬鹿しいことですが、まだまだ演奏の技術が熟していなかった時代なので、仕方がなかったのでしょうね。
でもあるとき、超有名なギタリストの一人が「誰かが一番上手だとしても、すぐに他の誰かに抜かれてしまうのだから、そんなことは意味ないことだよ。」と言ったのです。
無敵のギタリストは一過性のものに過ぎないと言っていたのですね。けれども、実は本当の意味での「無敵」さというものがあるのです。
それは無防備な心のことです。無防備でいると、愛が発動して誰かを攻撃することがなくなってしまうので、相手と戦うということがなくなり、結果として真に敵がいないという状態になるのです。
これこそが、本当の「無敵」ですね。できれば、より強くなって無敵になろうとするのではなくて、無防備な心(自己防衛を減らしていくこと)による「無敵」状態になりたいものです。
本当の勇者とは、強さではなく、愛で「無敵」であるものを指すのでしょうね。