by Papaji
対象物が存在すると、意識はそれに占有されてしまう。そしてそれが分離をもたらすのだ。それは知覚された対象物にとらわれて、意識の源への気づきを失ってしまう。
その分割された状態のなかで、意識は意識そのものに気づかず、また対象物と関わることで気づきを妨げられていることにも気づかないのだ。
意識せずに対象物を見ることはできない。ただ意識を通してのみ、対象物を見ることができる。あなたは対象を見ていることを意識している。
だが、見るという過程が進むにつれて、あなたは対象に魅せられ、それに執着するようになるのだ。そうなると、その対象物は感覚的な楽しみをもたらすものとして認識される。
なぜなら、対象物は感覚を通して意識に記憶されるからだ。心は対象物を楽しむことでそれに執着し、意識あるいは空であるそれ自体の源を忘れてしまう。
対象物が取り除かれたとき、心は空の状態に戻る。対象物がなければ、本来の自然なあるがままの状態だけが残る。
この自然な本来の状態への気づきを妨げるのは、対象物への執着心なのだ。これが起こると単一の意識は分割され、限定されてしまう。この分裂した状態の中で気づきは失われ、意識はもはや単一の全体として体験されなくなるのだ。
この意識の分割と限定の過程は無限に続いていき、それが顕現(世界の現われ)と呼ばれるものとなる。
だが、ひとたび対象物は意識の中に存在し、意識から分離していないことを知れば問題はなくなる。意識はその中に対象物をもっても影響を受けることはない。
対象物をつかもうとつかむまいと、意識にとっては同じことなのだ。もしあなたが対象物の代わりに意識と同一化すれば、問題が起こることはない。あなたはこのトリックを学ばなければならないのだ。