日本に古くからある神道には、あらゆるものに神が宿るという考え方があるようですね。山には山の神、海には海の神、そして道端に咲いている名も無き花にも神があると。
キリスト教やイスラム教のように、全能の神、偉大な神が存在するという考え方とは随分と違いがあるように感じるのは私だけでしょうか?
神道の考え方には、遍在するという見方があると思います。つまりいたるところに神がいるということです。ここには神を人格化するようなところがありません。
それはいつもこのブログでもお伝えしている全体性ということと同じなのではないかと思うのです。なぜ日本人は古来からそのような見方をしていたのでしょうか?
きっと日本人の奥ゆかしさというのか、そうした謙遜な態度が関係しているように感じます。自分はちっぽけな存在だけれども、神はあらゆるものの源泉だということ。
自分という個人がいるように感じていることをそのままにして、遍在する神を体感したからこその結果だと捉えることもできます。
現代に生きる私たち日本人は、そうした先輩方の思いをさらに進めて、自分という個人が単なる思考であって、遍在する全体性としての自己こそが真実だと真正面から見ることです。
心を静かにして、神道を生み出した日本人に感謝しつつ、いつ何時でもここに在る真実に深い信頼を与えることができれば、先輩方々も喜んでくださるのかなと思うのです。