私たちが誰しも心から求めている真の平安とは、死ぬことでしか実現できないということを知っているのです。
死ぬことによって、未来への不安や過去への後悔はすべて消え去り、喜びもなくなると同時にありとあらゆる苦しみからも解放されるのですから。
その反面、私たちは死ぬことを恐怖の中心に据えて見ています。つまり、もっとも理想と考える状態は、もっとも恐れているところにあるということ。
これが私たちが抱えている、どうしようもないジレンマなのですね。私たちは、常に愛を求めてもいます。愛はすべてと一つになる(戻る)ことです。
全体から分離してしまったと思い込んでいる自分を、全体へと戻したいと言う強い渇望があるのです。それが愛の正体に違いありません。
けれども、全体の中に溶け込んでいってしまうということは、この自分が消滅するということでもあるのです。
愛とは、自分が消滅して全体へと帰還するということですから、個別の自己は完全に消滅してしまうのです。
結局、愛を求めることは、もっとも恐れている自分の死を意味するのですから、やはりここでも手の打ちようのないジレンマがあるのです。
なんということでしょうか?これでは、どれほど努力したところで人生が完全に満ち足りるということが不可能な気がしてきます。
でもこのお話しには、実は一つだけ大きな誤解が隠されています。それは、全体性へと解けたあとも、自己という一人称の気づきはそのまま残るのです。
だから、恐れることはないのです。死を恐れなくなれば、人生はとても気楽なものとなるでしょう。そして、愛をも恐れなくなるはずです。