目覚めた意識でいる その2

目覚めた意識でいると、いつも感じているこの自分という意識には、大きさも形も位置という概念もなにもないということに気づきます。

この純粋な意識が、広大な空間のどこかの領域を占めているということは決してないとただ分かるのです。

それはつまり、思考で捉えることも、知覚(五感)で感知することも絶対にできないということを意味していますね。

純粋な意識である気づきが、なぜそうしたものなのかという理由を説明することはできません。思考の限界を越えているからです。

だから疑問や腑に落ちない感じなどに目を向けてしまうと、途端に目覚めた意識から遠のいてしまうかもしれません。

思考で説明できることは唯一つ、それを説明することは不可能だということです。潔くそのことを認めて、ただ在るだけのそれに意識を向ければいいのです。

目覚めた意識でいるということには、何も特別なことはありません。ごく普通の生活の一瞬一瞬ごとに、それと共に在ればいいのですから。

逆に、それから目を逸らすために、私たちはどれだけのエネルギーを使っていることか。だから人々は疲れているのです。

今日も、疲れを癒すためにも、目覚めた意識の中で憩うことができるといいですね。呼吸するよりも自然なことなのです。することではなく、気づけばいいだけですから。

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